11月29日ブログを始めたいと感じた。
尚理由を紹介した順番は自分の中での(このブログを続ける)優先度とは関係ない
1 カフェ東亜サプライにいる
東亜サプライをご存知だろうか?
東(以降打つのめんどいので略)とは3年近く住んでいる町門前仲町にあるカフェだ。僕はここの東に行く時なぜか緊張する。とってもオシャンであり、ここにいる人は煌びやかに見える
この風景に混じりたい。ここに似合う人になりたい、そのためには背伸びをしないといけない。macを開いてパソコンカチカチするきっかけがほしい。
こういった不純な思いからブログを始めようと思った。
2時間がある
本当に東にいるからという理由だけなのかと考えるとそういうわけではない。寂しいのである。いま海王寮という大学の寮に住んでいる(月1万、都内だと破格。ただしで2人部屋汚い、廊下で毎日Gと会う)のだがそこでのよく喋る数少ない友達がみんな船で実習に行っているからである。(自分も航海士予定だがルートが違う。詳しく話すと長いので割愛)脳死で会話する友達がいなくなるとどうなるか。辛いという感情はないが何より面白くない。(普段の生産性のない馬鹿話や意味のわからない友達の話、謎の自分語りの大切さを知れてよかった)
ブログを書くことでの有意義な時間を送れるのでないか?
3偏見の考察
最近オードリー若林の「斜めの夕暮れ」というエッセイを読んだ。そこでは若林の内面について赤裸々に描かれており僕は'そんなに自分のことを考察することができるんだ’と思うと同時に’ここまで自分の抱いた感情について徹底的に考察できる能力に対して羨ましさを抱いた。
僕は良いことであれ悪いことであれ、かなり偏見を持ってしまう性格である。(偏見は一般的にネガティブと捉えられがちだが、楽しく生きるためのスパイスになると感じるのは僕だけなのか)
ブログを書くことでこの偏見についてより深く理解できるのでないか?
4読んだ本のアウトプット
3と同様、本を深く理解できそうなので。ちなみに今日買った本
5オンライン英会話での挫折
一年前ほど大学の単位でオンライン英会話をすることで単位が取れる授業があった。ぼくはその時就活のために2ヶ月ほどで運良くTOEIC835をとり、俺って英語できるジャーンと天狗になっていた(その後スコアは停滞し英検に2連敗喫することをまだ知らない)。
当日お題が与えられてそれについてなにも喋れなかった。
これは英語力がなかっただけでなく、そんなんどうでもいいとのである。
よくテレビやSNSで日本人は自分の意見がないと聞いていたが初めて実感し、これには危機感を抱いた。
将来海外の人とたくさん喋る機会があるので、面白くないと思われないためにも意見をもった人間になりたい。
意見を持つにはさまざまなことに対して自分のフィルターを通した上で’自分の言葉で思考を構築する必要がある’
ブログを書くことでオリジナルの識見が培われるのでないか?
(ちなみにオンライン英会話は途中で飽きてしまい単位は取れず)
以上
書くの疲れた。来年の4月から忙しくなるので続けるとしたら3月までだと思う。
それまではブログを書き続けたいな願望があるが、なんせ三日坊主な性格なので続くかはわからない。